名取老女と熊野那智神社 前編
酷暑の8月も終わり、早くも9月に入りました。日も短くなり、夜は涼しいというより寒さを感じるこの頃。一気に気温も下がりましたね。宮城の9月はもっと寒いのかな?と関西在住の筆者は今日も思いを馳せます。
今回は「名取老女」についてその謎を解き明かしていきたいと思います。熊野那智神社との関係や神社の歴史にも触れていますので、みなさんに知っていただけると嬉しいです。とは言え、何しろ謎の多い名取老女。記事にはない情報をご存知の方は、どうぞコメントしてシェアして下さいね!
熊野那智神社が誕生したきっかけ~治兵衛と羽黒飛龍大神の出会い~
早速ですが以前、「夏季例祭」で触れました熊野那智神社の生い立ちをさらっとおさらいしましょう。というのも、この過程は神社の誕生に欠かせない重要な起源だからです。
昔むかし、名取の地に治兵衛という一人の漁師が暮らしていました。ある日の朝はやくに治兵衛が漁に出ると、何か光るものを海底に見つけ網を投げると藤の木で編まれた筏(いかだ)が引っかかりました。その筏の中には、なんと御神体が包まれていたのです。
御神体を家に持ち帰った治兵衛は、毎日欠かさず祈りを捧げました。そして、3年が過ぎた頃、閖上(ゆりあげ)より西の山並みに龍燈と呼ばれるいくつもの火が見え、「我羽黒飛龍の神なり」とお告げになったのです。驚いた治兵衛は、龍燈が光った先の高舘山に社殿を建て、羽黒飛龍を御神体としてお祀りしました。719年(養老3年)6月10日の出来事です。
「忘れませんよ」~名取老女と熊野権現の出会い~
治兵衛が高舘山に社殿を建ててから約300年が過ぎた1123年(保安4年)になると、今回の主人公である名取老女が登場します。治兵衛の時は奈良時代。名取老女は平安時代の登場となり、熊野那智神社の長きに渡る歴史を感じますね。
名取老女が熊野那智神社と深く関わるきっかけは、ある一人の山伏との出会いにありました。ある日、名取の地に住むこの老女のもとを訪れた山伏はこう告げたのです。「松島へ参詣するため熊野権現へお参りしたら、夢に熊野権現が現れあなたにこの手紙を渡してほしいと神託を授かりました。」なぎの会の由来となっている梛の葉に書かれたその手紙には、
『道遠し 年もやうやう老いにけり 思い起こせよ 我も忘れじ』
と書かれていました。実は、名取老女は若かりし頃より熊野まで参詣していたほど、熊野権現を熱心に崇拝していたのです。しかし、老女も年を取り熊野まで足を運ぶことができなくなったので、名取の地から毎日欠かさず礼拝を行っていました。そんな老女の熱い信仰心に心打たれた熊野権現は、「あなたのことは忘れませんよ」と梛の紙に書いて伝えたのです。
「神様はいつも見ておられる」と言います。それは、調子のいい時もそうでない時も然り。いかなる時も真っ直ぐな老女の信仰心は、しっかりと熊野権現に届いていたのでした。
後編につづく
熊野那智神社が誕生する礎を築いた治兵衛と羽黒飛龍との出会い。そして、300年の時を経て今度は名取老女と熊野権現が出会い、ここからまた神社の歴史が大きく動きます。後編では、その出会いがどのように発展していったのか、また謎につつまれた名取老女の正体にも迫ります!引き続きお楽しみ下さい。
執筆者
なぎの会HP管理人のacoです。香水づくりとWebライターとして日々奔走中の関西人。なぎの会の活動内容や神社の歴史をお伝えします。noteでは、好きなこと・日々のことを綴っています。
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